【最新】2025/4/10「中西正司さん お別れ会のご案内」

【訃報】代表の中西が2025年3月26日(水)に永眠致しました

以下、関係者に発表しました訃報になります。
なお、当団体の代表は事務局長であった秋山が、
事務局長は藤田が務めることになりました。

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皆様

大変残念なお知らせをしなくてはなりません。

3月26日4時19分にヒューマンケア協会・自立生活センター日野・ILみなみTama 代表 中西正司
(享年80歳)が永眠いたしました。

葬儀につきましては故人ならびに親族の御意向により近親者のみにて4月2日に執り行いました。

本来ならばすぐにでも皆様にご連絡すべきところでしたが、親族も今回のことに心身ともに疲弊しており、たくさんの方々の弔問に対応することがむずかしいと考え、このように事後のご報告となりました。何卒ご理解ください。なお弔問・香典・供花・弔電につきましても故人・親族の遺志により辞退申し上げます。

皆さんとのお別れにつきましては、月内を目処に、改めて場を設けさせてもらおうと考えております。これにつきましては後日ご連絡いたします。

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中西は20歳の時に交通事故で頸椎損傷となった後、自立生活運動と出会い、アメリカにその基礎を学び、帰国後、樋口恵子さん、安積遊歩さん、野上温子さんらと1986年に日本初の自立生活センター・ヒューマンケア協会を設立しました。DPI日本会議議長、全国自立生活センター協議会代表など国内当事者団体の役員などを歴任し、日本の自立生活運動の先頭に立ち続けてきました。政府、東京都、八王子市や日野市の多くの検討会・委員会に携わり、当事者からの積極的な施策提言を行い、そのための調査研究、執筆も多数あります。

また海外への自立生活運動の普及もライフワークとして、DPIアジア太平洋ブロック議長を務め、東南アジア各国でのCIL支援、韓国における自立生活センター設立支援、APCD(アジア太平洋障害者センター・バンコク)の立ち上げ、南アフリカにおけるILプロジェクトなど多くの開発支援に携わってきました。

晩年は自宅で過ごすことも多くなりましたが、それでも週2回のヒューマンケア協会の会議に出席し、いつも自立生活運動の行く末を案じていました。

3月25日夜、介助者がいつものように翌日の会議に出席するための服を車いすの上に用意したのち眠りにつき、その数時間後、ほんとうに眠りにつくように苦しむことなく自分のベッド上で亡くなりました。

最後まで、自分の介助者をそろえ自ら選んだ在宅医療とつながり、自立生活運動のリーダーとして、地域の中で、在宅で、自宅で最期を迎えました。

50年近い活動の中で、さまざまなかたちで生前の中西と関わってくださった皆さんに感謝しご報告申し上げます。

 

令和7年4月

自立生活センター日野
ヒューマンケア協会
ILみなみTama       職員一同

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